総合案内 > 健康福祉・子育て教育 > 歴史・文化 > 文化財 > 中島三郎助招魂碑
更新日:2017年2月20日
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明治24年(1891)に、彼を追慕する浦賀の有志によって建てられました。篆額(てんがく)は当時の外務大臣・榎本武揚によるものです。
中島三郎助は浦賀奉行所の与力で、ペリーが浦賀に来航した際に黒船に乗り込み、交渉にあたりました。また、我が国最初の洋式軍艦鳳凰丸を完成させ、幕府海軍の近代化に尽力しました。
明治維新後、新政府に対抗して榎本武揚らとともに函館戦争に参戦し、五稜郭の戦いで、長男恒太郎、次男英次郎と共に千代が岡で戦死します。3人の墓は本市東浦賀町東林寺にあります。
招魂碑のある愛宕山公園は本市で一番古い公園で、碑の建立の際に整備されました。
(京急浦賀駅~JR・京急久里浜駅間バス、紺屋町下車・徒歩10分)
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