更新日:2016年8月31日
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京浜急行のガード近く、旧浦賀道ぞいに浄土宗の西林山長善寺がある。寺が開かれたのは永禄元年(1558)といわれ、開山和尚は天正4年(1576)に亡くなった嘆蓮社讃誉長善(たんれんしゃさんよちょうぜん)といわれる。本尊は阿弥陀如来像。江戸時代に入り、元禄のころ災害によって創建の建物がこわれたため、享保15年(1730)に村民の石川太右衛門や多数の檀家の協力により復興した。
明治になり、吉水幽誉(よしみずゆうよ)和尚が伊勢の津市からきて住職となった。明治7年(1874)長善寺本堂に田浦学舎ができる(後の田浦小学校)。明治30年、本堂などの改築を行い、明治37年に完成した。
寺には、室町時代前期の地蔵菩薩像や古文書など貴重な文化財がある。明治のはじめまで大作谷戸にあったといわれる久遠寺の本尊像も移されている。また、境内にある不動明王像は、三浦道寸の守り本尊で、落ち武者の菩提を弔うために安置したといわれている。
ここは浦賀道の難所・十三峠の山越えに備える所であった。享保年間(1716~1736)に祀られたというお地蔵さまが、山門正面にある。浦賀街道を往来する旅人が「旅の安全」や「家内安全」を願って、お参りしたという。
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