更新日:2018年8月9日
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海上自衛隊第2術科学校内に立つ。明治28年日清戦争のときに、清国の北洋艦隊を攻撃するため、水雷術練習所時代の3期生の上崎上等兵曹は、水雷艇に乗り威海衛の港に突入したが、不幸にも敵艦の目前で発射管が寒さのため凍りつき、魚雷を発射することができなかった。この責任を感じた上崎上等兵曹は、一度は班長の鈴木貫太郎(後の大将、首相)にとめられながらも、艇内で自決。
この忠勇義烈な死をとげた故人の碑は明治29年市内の竜本寺に建てられたが、昭和3年国道沿いの現在の横須賀基督教社会館近くの田浦派出所わきに移され、昭和43年現在地に再移転した。
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