更新日:2018年8月9日
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長善寺から京浜急行のガードをくぐり、田浦泉町に入るとこのあたり一帯は、「温泉谷戸」と呼ばれている。もともとこの奥谷は、「矢落」(やおち)という地名であった。温泉谷戸の名は、昔、谷戸奥の市営住宅近くを流れる小川にかかる橋のたもとに鉱泉がわいたためだ。
高熊川源流の山(昔は矢落山といった)の麓で、高熊川に沿った旧道横に1メートル四方の鉱泉の湧き出ている浅い井戸があった。鉱泉を利用して、明治の頃には温泉宿(田浦泉町27番地の駐車場付近)が開業され、皮膚病やあせもに効くということで、一時期、繁盛する。春はアヤメ、秋はコスモスが一面咲き乱れ、10ほどの部屋があり、東京からの温泉客でにぎわったこともあったという。また、パイプを高熊側に沿って敷設し、鉱泉を引き込み、それを沸かしたお風呂屋さんがあった。しかし、関東大震災で地形が変わって湯が出なくなったり管がこわれたりで、大正の終わり頃には温泉宿もお風呂屋さんも廃業し、温泉場はなくなってしまった。しかし地元の古老によると、その後も鉱泉の利用が多く、少ない量の鉱泉を毎日のように1升びんなどでくんでいく人たちが絶えず、またあせもやただれなどに効くということで、地元ではタライで子どもたちの体を洗う風景をよくみかけたという。
温泉谷戸を流れる高熊川では、戦前の大正から昭和にかけてウナギやハヤもとれ、子どもたちの格好の遊び場であったという。また、当時、谷戸の川の水はきれいで、家庭のお風呂に活用したそうだ。
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