更新日:2018年8月9日
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昔、現在の関東自動車工業の海岸の角に吉倉や榎戸・深浦に行く渡し船の船着き場があった。すでに江戸時代には横須賀の本町から金沢方面への渡船があったが、軍港の拡張によって渡船がむずかしくなり、吉倉・逸見方面に行くには陸路を浦賀道で十三峠を越えるしかなかった。このため明治20年ごろ吉倉運輸によって、吉倉-榎戸間(40分)の渡船ができた。
当時、渡船は、浦郷はもちろん、六浦や金沢から横須賀への往復のただ一つの交通機関であった。明治の終わりごろ、5、6隻の船で毎日午前7時から午後6時までの間、1時間ごとに発着し、かなりの利用者があったという。横須賀市統計書によると、明治から大正にかけ毎年1万5千人から2万人近くに及んだ。しかし、明治37年に田浦駅(JR)ができ、また大正7年には海軍水道トンネルが一般の人たちの通行が許可されたため、しだいに田浦の渡船発着場の利用者が少なくなった。さらに海軍水雷学校の拡張のため、田浦の発着場は大正8年に廃止になった。吉倉-榎戸間の渡し船は、大正10年ごろ全盛期をむかえその後もつづいていたが、軍港水域拡張のため、やがて昭和6年に姿を消した。
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