田浦泉町の石山(石切場)
大正のころ、田浦泉町の奥の方に通称石切山と呼ばれていた石を切り出した山があった。東京の浅野セメント会社が開発したもので、ハッパ(ダイナマイト)で砕いた石をトロッコに積んで、線路を越し長浦湾の海岸の船着場に運び、そこから船にのせ、東京のセメント会社まで運んだといわれている。この光景は大正10年ごろまで続いたという。その後、線路とトロッコは昭和のはじめ頃まで残されていた。このトロッコ道が田浦泉町のいまの広い方の道路だ。古老によると当時、地元の子ども達がトロッコに乗って遊んだり、ひっくり返して現場の作業の人にしかられたりもしたそうだ。
現在、石切山は半分以上は土砂に埋まり、大きな杉の木に囲まれているが、上部にかすかに石を削り取った跡を見ることができる。