総合案内 > 健康福祉・子育て教育 > 歴史・文化 > 文化財 > 横須賀市内の指定重要文化財等 > 横須賀市指定重要有形文化財(絵画・彫刻・工芸・考古資料等) > 会津藩士と家族の墓碑(あいづはんしとかぞくのぼひ)
更新日:2011年4月21日
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指定年月日:平成23年(2011年)3月10日
走水・圓照寺に所在する会津藩士とその家族の墓碑6基(写真左の「三如院妙相日等大姉」およびその右の最後列の3基、その前列の左側の2基)。
江戸時代後半の寛政年間(1789~1800年)以降になると、外国船の来航が頻繁になり、幕府が江戸湾防備の海防策をとり、三浦半島の任務に最初に就いたのが会津藩である。その期間は文化七年(1810年)から文政三年(1820年)までの10年間である。
この間に亡くなられた藩士とその家族の墓碑は、本市に4カ所51基、三浦市に5カ所37基が判明している。本市の4カ所のうち、鴨居に所在する会津藩士墓地=腰越墓地は市指定史跡に指定している。
幕府の海防対策に関する資料であると同時に、郷土の歴史の一端を学ぶ実物の資料として重要な歴史資料である。
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